2023年の目標を立てる

  • 年が始まってからすぐ目標を立てることも出来たが、何となく出来なかった。所詮「年が変わった」だけだったし、2022年の年始に立てた目標を振り返った2023年1月1日の自分は、今年も目標を立てようという気持ちを抱くことが出来なかった。
  • だが、目標を立てないと「年が始まらない」ような気もした。所詮「年が変わった」だけなのだけど、意識的に一つ一つの区切りを打っていかないと、ヌルヌルと時が滑っていくような気がしたし、たとえ目標は目標のままで消えていくものだとしても、目標というものを叫んでスッキリすることに意味があるような気もする。そういう精神的な要素を、目標は持っている。
  • さらに言うと、年末年始という非日常的な時期から離れ、ああそういえば日常ってこんな感じだったなあ、という時期に立てた目標のほうが、よりリアルでそれでいて多少の背伸び感がある良い塩梅の目標になるとも思う。

 

  • 年明けすぐに、とあるYouTuberが「1年間の目標を無理に立てるのではなく、例えば2週間単位で目標を立てたほうが良い」と言っていて、なるほどなあと感じた。年始と年末とでは世の中があまりに動いていて、前提がそもそも違うから、だそうだ。
  • それは半分合っていて半分そうでもないかな、という感じがする。世の中が1年で目まぐるしく動くように自分を取り巻く環境や考えが動く部分もあるだろうけど、世の中で変わらないものは案外変わらないし、自分を取り巻くものも変わらないものは案外変わらない。大切にしたい価値観は1年じっくり持っていた方が良いと思うし、そういうものを1年の目標として置いてしまうときっと良い。

 

  1. より躊躇なく飛び込む
    • 勉強、人とのつながり、新しい取組、旅、職、趣味。
  2. より素敵な言葉を紡ぐ
    • 「言葉」というものをちゃんと考えないといけない、と思ったのが去年。鍛え抜かれた言葉から茶番は生まれない。
  3. より自分に自信を持つ
    • 案外もう少し自信を持っても良いかもしれない。

 

  • そんなもん。あとは毎日勉強する、英語もっとできるようにする、運動する、ちゃんと早寝早起きする、怒らない。映画・コンサート・美術・ライブなど意識的に色々通いたい、たくさん読書したい。今年は久しぶりに海外に行きたい。それくらいでまずはどうでしょうか、2023年。

2022年

「どうだった」
 「なにが」
「2022年」
 「まだ終わってないでしょ」
「もう終わるでしょ」
 「何で人は年が終わるとその年を振り返ろうとするんだろうね」
「年が終わるからでしょ」
 「単なる区切りにすぎないと思うけど」
「でも区切りだからね」
 「そっか」


「どうだった」
 「資本主義から離脱したくなった」
「なんの話してるの」
 「2022年」
「振り返りの第一声で『資本主義から離脱したくなった』って言う人いないよ」
 「それが2022年だから」
「もうお金を稼ぎたくなくなったの」
 「それもあるけど」
「それもあるんだ」
 「資本主義の担い手としてでしか物事を語れない自分に限界を感じる」
「つらいね」
 「民主主義の敵は、不労所得労働者なんだよね」
「ピケティだ」
 「でも、結局僕たちは資本主義に加担しているんだよね」
「離脱する術はあるの」
 「それがあったら苦労しないよ」
「そっか」


「年始に立てた目標はどうだったの」
 「なんとも言えないね」
「ふうん」
 「少しずつ継続しているけど目的化している側面もあるかもしれない」
「でも継続しているのは良いんじゃない」
 「だと良いけど」
「うん」
 「でも、継続は良いって誰が決めたんだろうね」
「さあね」
 「僕たちは『継続』に囚われているのかもしれない」
「じゃあ継続しなきゃ良いじゃん」
 「そういうわけにはいかないでしょ」
「そっか」


「音楽とかもやってたでしょ」
 「リハーサルと本番は別物だよね」
「何があったの」
 「聞かないで」
「そっか」


 「良いこともあった」
「なら良かった」
 「自分がやっていることは大事なことだ、と人から言われた」
「最高じゃん」
 「最高だよね」
「最高」
 「でも、最高なこと以外が、あまりにしょうもなく見えるようになってしまった」
「しょうもないことがあるから、最高なこともあるのかもしれない」
 「そっか…」


「来年の抱負は」
 「まだ終わってないでしょ」
「もう終わるでしょ」
 「何で人は年が明けるとその年の抱負を語ろうとするんだろうね」
「年が明けるからでしょ」
 「単なる区切りにすぎないと思うけど」
「でも区切りだからね」
 「そっか」
「良いお年を」
 「うん、良いお年を」

良いお年を。

コメンテーターとしての未来の話

僕は昔からジェネラリストではなくスペシャリストになりたいと思っていて、
でも何のスペシャルを得たら良いのかがどうしても決めきれず、それを探るためにジェネラリストの道へ向かっていった。

大学入試でどのような学部を受験するか、大学卒業の先にどのようなキャリアを歩むかなど、その時々のタイミングで、上記のようなことを思いながら意思決定を進めていったように思う。
もちろん、広く視野を持っておくこと、幅を持っていることは非常に重要で、それで損をしたことはないし、意味もあった。

 

コロナが世の中に出始めのころに、医学の専門家が"コメンテーター"を押しのけて発信をした。

カルト宗教の話題で盛り上がっているいま、決して表に出ることは殆どなく細々と活動していた宗教の専門家が、前面に立って自らの知見を遺憾なく発揮している。中途半端な物言いをした"コメンテーター"の発言が、専門家たちによって根底から否定される場面すらある。"コメンテーター"は「訳の分からないことを言って」と批判されるのが筋だ。

 

"コメンテーター"は、実に様々な分野にそれっぽいことが言える便利屋で、どんな場でもどんなときでも重宝され、またあるスタンスが要請されればそのスタンスに応じた発言も出来る。かっこよくも見える。

だが、その分野の本物の専門家の前では勝てない。

 

いまの自分がジェネラリストであるとして、それはすなわち"コメンテーター"でもあって、「いろんなことを知っていたり話したりすることができてすごいですね」と思って頂けているのかもしれない。が、それは、ひろゆきや三浦瑠麗や橋下徹古市憲寿みたいな存在であって、その先に待つ未来は、自分が尊敬したい未来では無い。

 

そんなことを考えながら、2022年の9月が、終わる。

 

あれはただの風邪だと言うけれど

そんなことは無いです。ホントに。

ワクチンを3回打ったこともあって自分はだいぶ軽く済んだのだろうけど、

もう何年も熱が出る風邪を引いていない自分ですら39℃近い熱が数日続いたし、

巷の人は喉が燃えるように痛かったりするらしい。後遺症に苦しむ人も多くいると聞く(自分もこれから何があるか分からない)。

「あれはただの風邪」だと言い張る人たちは、普段どんな「ただの風邪」を引いているのか。

 

体力も食欲も社会性もやる気も無くなってしまって、勿体ない夏を過ごしてしまった。

ネットスーパーの偉大さには、頭が下がる。

そして、優しくしてくれた方、本当にありがたい。ちゃんと全部覚えてます。お礼します。

消えない何か

  • 世の中のことを考えるにつけ「公助の限界」と言ってしまうし、今の人口減少時代を考えると頷かざるを得ないのだが、公ではない周りがあまりにも「公助の限界」と声高に言うのも良くないような気もする。公助は確かに限界なのだが、それでも公助は役目を果たすべきであって、周囲が「公助の限界」と言ってくれることに甘えて公側が何もしないのは違う。税金払ってるんだから。確か一時の総理大臣は「自助・共助・公助、まずやってみる」と言っていたし、彼の政治信条はそういうものでもあったと思うけど、「公助の限界」という周囲の声によって当人が言いやすくなっている側面もあるのではないか、とも思う。国民の命を守る、とか公がそういう部分すら担えなくなったのであれば、もはやそれは国というシステムが成立していない、ということである。まあ今はもはや成立していないが…。
  • もうお願いだからスマートシティとかスーパーシティとかデジタル田園都市国家とかそういうクソだせえキャッチフレーズで分かったような分からないようなことを語らないでほしいし、さらに言うと当該の界隈はスマシとかスパシとかデジ田とかいう略称でよりクソだせえ言い方をしているが、マジでバブル臭プンプンのクソだせえ言い方だってことに早く気づいてやめてほしい。シティの専門家がシティをシって略すかよ。

食事宅配のnosh、継続するか絶妙に迷う話

もともと週末に作り置きをしておいて、平日は大した手間もかけずにそこそこ美味しいご飯を食べる、というのがここ数年の自分の食生活スタイルなのだが、食中毒のリスクがある都合上、週後半まで残す前提で作り置きをしていない。

そうすると、週後半には冷蔵庫に何も無い、という状態に陥るのだが、忙しかったりするとメニューを考えて買い物をして…、という発想に至らず、ついUberEatsに依存してしまう。

そういったところ、最近よく広告が出ていて、YouTuberの案件動画もよく見かけるのでnoshを試してみた。

nosh.jp

元々Miles Japanという単に移動するだけでマイルが溜まり色々なクーポンをゲットできるというネジが3本くらい外れた冗談みたいなアプリを使っていて、そこでnoshの初回2,500円OFFのクーポンを活用することにした。

www.getmiles.com

こういう感じのものがクール便で届く。

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良かったところ

  • 味はまあまあだと思う。カロリー勝負でしかないコンビニ弁当よりは良い。ただ付け合わせの野菜は正直もう少し頑張ったほうが良い。家にあるトマトを切って合わせて食べてる。
  • ハンバーグみたいなメニューは外れがないが、魚系もそこまで悪くないのは評価が高い。魚系で美味しいお弁当が見つからない+だいたい高いので。
  • ご飯は無いので別途調達が必要。
  • 家にお弁当がある、食べられるものがあるという安心感はかなりでかい。忙しい・買い物に行く暇がない、といったときに冷凍庫からモノを取り出しレンジでチンすれば、主食・副食とちゃんと確保できるのはありがたい。災害対策とかコロナの隔離対策とかにも使える気がする。

何とも言えないところ

  • 糖質・塩分を管理しているという謳い文句にもあるとおり、健康志向なお弁当だと思うのだが、絶妙なラインで物足りない。大食漢では無いのだが、そこそこ食べるタチなので、食事のときの盛り上がりに欠けてしまい、無性にガチ飯が食べたくなり、次の日にやよい軒でチキン南蛮定食を食べてしまう。
  • コンビニ弁当にも通ずるところだが、弁当のご飯は虚しさがある。特に、弁当の外装から宇宙食っぽい印象があるため、余計に食事のときの盛り上がりに欠け、無性にガチ飯が食べたくなり、次の日にやよい軒でチキン南蛮定食を食べてしまう。
  • 絶妙なラインで高い。6食で4,190円+送料1,056円=5,246円(税込)なので、1食あたり874円。初回2,500円OFFを使ったので、総額2,746円(税込)・1食あたり458円となり、これであればコンビニ弁当以下になるのでこれならお得なのだが、絶妙なラインで物足りない夕食1食あたりに874円は絶妙に高い。やよい軒のチキン南蛮定食は760円なのでなおさらである。夕食に食べるには絶妙なラインで物足りないのであって、昼食に食べるくらいであれば実はちょうど良い量でご飯・魚・野菜と取れるとそれはそれでQOLが上がるのだが、今度は昼食に874円もかける価値があるのか?となる。昼食にそれくらいのお金をかけるならキッチンカーで売ってるオシャレなビーフストロガノフを食べたいのである。

 

たまには、こういうブログも書こうかな、とやよい軒で思って書きました。

2022年の元日にする話

言うだけなら勝手なので。

  • 論文投稿1本以上、博士進学
  • 現職から退職する(強い違和感が憎しみに変わる前に)
  • 英語もちゃんと勉強する、TOEFL100点以上 or IELTS7.5点以上取って、海外進出の足がかりを作る
  • 人前で披露できるピアノのレパートリーを5曲つくる
  • YouTuberになる
  • 健康で文化的な生活(読書、映画鑑賞、お笑い鑑賞、音楽鑑賞…)

言ったからには責任もあるけどね。だから、言ったんだけどね。

ここ何年もずっとモヤモヤとしていたもの、だいぶ明瞭になってきたのが2021年の末。収穫するのが、2022年。